コーヒーセラピスト Sei
1986年、ひとつの作品が僕たちを解き放った。
35年の月日が経った今わかる。それは『J.BOY』という音楽の魔法だったのだと。
1986年、アナログ盤2枚組という大作が、4週連続、通算5週にわたりアルバムチャート1位(1986/9/15付~10/6付・10/27付/オリコン調べ)を獲得するという快挙を成し遂げた。テレビにはまったくと言っていいほど出演せず、コマーシャルなどのいわゆるタイアップもほとんどおこなっていなかったために、曲はもちろん、作者であるソングライターの名前や顔を初めて知る人も多かった。
しかし、世間一般の認知度とは異なり、年間100本を超えることもあるライブツアーの会場はつねに満席、それまでのアルバム作品からライブで歌われ続けてきたいくつもの歌が、リスナーたちに深く愛されていた。コンサート中心の活動の結果としてのこの快挙に、ある音楽評論家は「日本のロックがひとつの成熟期を迎えていると感じさせる」と語り、一方で、小さなライブハウスや800席ほどのホールが半分ほどしか埋まっていなかったデビュー当時を知るリスナーは、大切にしていたものがちょっと遠くに行ってしまった切なさも感じた。
浜田省吾『J.BOY』。
まだJRもJリーグも、J-POPという呼び名もなかった、あの頃。
作者本人が語るアルバムのテーマは“成長”。戦後40年、一見サクセスストーリーの中にいるように見える日本という国の成長。そこで生きる少年や少女たちの成長。バブル期がすぐそこまで迫り、MADE IN JAPANが世界を席巻していた。なかでもタイトル曲「J.BOY」は衝撃的だった。“果てしなく続く生存競争”“頼りなく豊かなこの国”。連ねられた歌詞に、大人になりかけていた少年少女、つまり僕たちは抱えていた怒りや焦燥の理由を言い当てられた気がした。そして、続けて叫ばれる“打ち砕け 日常ってやつを”という言葉とともに拳を振り上げ、解き放たれたのだと思う。怒りや焦燥、あるいはそれぞれが抱えていた何かから。
“おろしたてのバスケット・シューズ”や“予備校の湿っぽい廊下”などの言葉が印象的な、ほろ苦くセンチメンタルな歌の数々。60〜70年代ソウルやR&Bへの再評価が広く定着する以前の、メロウでグルーヴィーなバラード。9.11以降の世界を歌ったかのように重くシリアスでありながら、心高ぶらせるビート感に身をゆだねることのできる楽曲。2枚組の大作が歌う世界は多岐にわたるが、ジャケットの写真やデザイン同様、これだけシンプルで真っ直ぐな印象を残すアルバムも希有だろう。発表から30年を経た今、改めて思うのは、『J.BOY』という大作が、実は単純と言ってもいい音楽的快感に満ちているということだ。怒りも孤独も懐疑も抱えながら心を解き放つ、
音楽の魔法。
あれから35年経った今、君にはどう聴こえるのだろう。あの頃の少年や少女は大人になったのだろうか。この国や世界は、成長したのだろうか。そんな問いを心の片隅に、僕たちはこれからもこのアルバムを聴き続けるに違いない。それぞれの歌に自分の人生の日々の場面を重ねながら、次の世代を思いつつ、
音楽の魔法にかけられたまま。